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zoom RSS ”金川砂子”を手に歴史散歩

<<   作成日時 : 2015/12/16 19:49   >>

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金川砂子(かながわすなご)とは


 「金川砂子」は、江戸時代後期の神奈川宿の様子を書いたもので、神奈川宿の住人「煙管亭(きせるてい)喜荘(きそう)」により、文政七年(1824)に作られました。豊富な挿絵と共に当時の宿の様子が詳細に描かれており、神奈川宿の内とその周りの神社仏閣、歴史、生活、行事などが分かります。当時流行った名所図会(観光ガイドブックのようなもの)の神奈川宿版といえます。

 その神奈川宿(駅ともいう)というのは、今のJR京浜東北線東神奈川駅、京浜急行神奈川駅の辺りにあった宿場です。当時、今の横浜中心部の大部分は海の中で、神奈川宿の辺りが最も栄えていました。旅人も多く、港を出入りする舟も多く、東海道でも屈指の宿だったようです。

 「金川砂子」は、国立国会図書館デジタルコレクションで”金川砂子”で検索すると見つかります。本文にはふり仮名が振られているため、くずし字ではありますが比較的楽に読めます。ところが、挿絵に書かれている短歌、狂歌、漢詩にはルビがありません。そのため、読めないところがたくさんあります。しかし、インターネットで調べてみたのですが、これらの釈文(くずし字を活字になおしたもの)が見つかりませんでした。

神奈川宿とは


 下は、現在の地図に、江戸時代後期の神奈川宿を重ねた図です。

画像


 上の地図は、国土交通省関東地方整備局横浜国道事務所のホームページから借用しました。赤い線は旧東海道、オレンジの部分が神奈川宿の範囲です。金川砂子では、東から西へ、図の右から左へ順に説明が続きます。実際には、生麦から筆が起こされていますので、上の図の少し東側から始まっています。終わりも程ヶ谷宿の入り口で終わりますので、上の図の少し西側まで、となっています。

このブログでは


 この後、「金川砂子」の挿絵と現在の様子とを比較しながら、江戸後期の神奈川宿を辿ろうと思います。又、挿絵に書かれた歌の釈文作りにも挑戦しようと思います(但し、漢文には挑みません)。各図に書かれた歌に釈文を記しますが、その際、意味が通じる程度に漢字に直し、濁点も振ります。但し、自力での解読ですので、不明な箇所、間違いなどが多いかと思います。正解を教えて頂ければさいわいです。

 では、金川砂子の挿絵毎、訪問記ができ次第、このブログにアップしていきます。 今後ここで用いる図で特に断りのないものは、国立国会図書館からダウンロードしたものです。写真は私が写したものです。また、図を左クリックすると新たなタブ(ウィンドウ)に少し大きなサイズで開くようにします。

 なお、このブログの記事は、私のホームページ「歴史散歩 金川砂子」にまとめてていきます。

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