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zoom RSS 歴史散歩 江戸名所図会 芭蕉案

<<   作成日時 : 2016/05/14 08:53   >>

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 下の絵は、江戸名所図会の「芭蕉庵」です。

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    古池や 蛙飛び込む 水の音    桃青

 江戸名所図会の本文には「芭蕉庵(ばしょうあん)旧址(きゅうし)」の説明として以下のように書かれています。

 同じ橋(萬年橋のこと)の北詰、松平遠州候の庭中にありて、古池の形今猶存せりといふ。延宝(えんほう)の末、桃青翁(とうせいおう)伊賀国より始(はじめ)て大江戸に来り、杉風(さんぷう)の家に入、後剃髪して素宣(そせん)と改む。又、杉風子より芭蕉庵の号(な)を譲請(ゆずりうけ)、夫(それ)より後、此地に庵を結び、泊船堂(はくせんどう)と号す。[杉風子、俗称を鯉屋(こいや)籐左衛門といふ。江戸小田原町の魚牙子(なやこ)たりし頃のいけすやしきなり。後、此(この)業(わざ)をもせざりしかば生洲(いけす)に魚もなく、自(おのずから)水面に水草覆(おお)ひしにより古池の如くになりしゆへに古池の口ずさみありしといへり]云々。

 上の説明から、芭蕉は、泊船堂、素宣、桃青、他の幾つかの俳号を使い分けたらしいことが分かります。

 松尾芭蕉(寛永21年(1644年)〜元禄7年(1694年))は、延宝8年(1680年)に深川に移り住みました。芭蕉稲荷の説明板他によると、芭蕉は、杉山杉風から草庵を提供され延宝八年(1680年)から大阪で病没するまでここを本拠とし「古池や蛙飛びこむ水の音」等の句を多数残し、またここから全国の旅に出て「奥の細道」等の紀行文を著しました。芭蕉没後、この深川芭蕉庵は武家屋敷となり芭蕉庵は失われました。しかし、大正時代の災害復旧工事の際、この辺りで石の蛙が見つかり、ここが芭蕉庵の跡であると考え、芭蕉稲荷を祀ったのだそうです。その後、ここが手狭なためこの少し北に芭蕉記念館を立て現在に至っています。

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 芭蕉庵跡地とされている芭蕉稲荷神社は上の地図の緑色の辺りです。芭蕉記念館は赤い楕円の辺りです。また、青い楕円の辺りは芭蕉庵史跡展望庭園です。

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 上は深川芭蕉稲荷神社です。ここに、芭蕉庵跡石碑他芭蕉の関連碑が置かれています。

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 上は深川芭蕉庵史跡展望公園です。上の芭蕉稲荷神社の西側、隅田川と小名木川の合流点にあります。


 なお、このブログの歴史関連の記事は、私のホームページ「歴史散歩」にまとめています。

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